今回は災禍のたびに読み直され現代の古典と言われている不朽の名作、アルジェリア生まれのカミュが1947年に出版したベストセラー作品ペストを紹介します。
タイトルで言い切りましたが、本当にこの作品はコロナ禍で生きている私達なら誰でもが共感できる物語です。
75年間にも渡って読み継がれ、時を経て新訳で読めるこの時に是非とも手に取っていただきたい。因みに、解説によるとこの世界的パンデミックの時期に新訳を刊行することになったのは、偶然なのだそうです。
それにも運命的なものを感じます。どうにも抗えない不条理を描かせたら天下一品のカミュ作品、どうぞご堪能ください。

とにかく読め、今すぐにだ。読めばわかるさ。
読んだ感想
舞台は1940年代のアルジェリア。何百年も前の歴史上のペストではなく、比較的現代に近い設定で突然平和だった街に疫病が蔓延していく様子が、今のパンデミックに重なり感情移入はたやすかった。
ただ、今の生活に重なり過ぎていて苦しくなることも多々あった。私自身コロナウイルスに感染はしていなく、幸い身近に亡くなった人もなかったので読み進めることができたのかもしれない。
災害や戦争、疫病で多くの命が落とされそのたびに人類は不条理と闘ってきた。その中で沸き起こる様々な感情・・・
怒り、嘆き、悲しみ、苦しみ、こんなどうしようもない状況をどう生き抜いてきたのか。
これは単なる感染症文学ではなく、人類が闘ってきた歴史の物語だ。
心に刺さった作中の言葉
以下は作中の抜粋になるので、ネタバレが嫌な方はスルーしてください。



今の自分の生活をまるで見ているような感覚に陥る、そんな場面がこの作品にはたくさんあります。
しかし、この長い警戒態勢のあとでは、それぞれの心も鈍感になったように思われ、うめき声が人間の自然な言語であるかのように、だれもがそのそばを歩き、そのそばで生活していた。
第二部 163ページより抜粋
市民たちにとって、この夏の空、埃と倦怠の色に染まって蒼ざめていくこの街路、それらが意味するものは、毎日町の気分を重苦しくする百人近い死者が示す脅威と同じであった。ー中略ー
あの幸福な季節の赤銅色の輝きは失われていたのである。ペストの太陽はあらゆる色彩を消し、どんな喜びも追い払った。
第二部 165ページより抜粋
「ああ、地震であればいいですよ!ぐらっと揺れて、あとはもう話題にもならない・・・。死者と生存者の数をかぞえて、それでおしまいです。ところがこの疫病の汚いやり口ときたら!まだ感染してない者でも、ずっと心配してなくちゃいけない」
第二部168ページより抜粋
不機嫌だけが理由で喧嘩騒ぎがひんぱんに起こり、不機嫌は恒常的な状態になっている。
第二部 175ページより抜粋
三十人ばかりの客がひしめきあって、大声で話していた。二人は、ペストが支配する町の静寂のなかから来たので、少しぼうぜんとして立ち止まった。ここではまだアルコールが提供されているのを見て、彼らはこの喧騒を理解した。
第二部 228ページより抜粋
どれほど予防していても、感染はいつか起こるのだ。
第三部 261ページより抜粋



生と死の間で揺れる人間の感情を切り取った言葉もたくさんあります。
こういう場面がこの小説の見どころです。
「あなたのような人なら理解できることでしょうが、この世の秩序が死の原理によって支配されている以上、神にとっては、人間が自分を信じてくれないほうがいいのかもしれない。神が沈黙している空を見上げずに、全力で死と闘ってくれたほうが」
第二部 188ページより抜粋
「あなたには心ってものがないんです」と、ある日言われたことがあった。いや、彼には心があった。その心は、毎日二十時間、生きるために生まれてきた人間が死んでいくのを見る、そのことに耐えるのに役立った。
第四部 282ページより抜粋
だからこそ、ぼくは直接であれ間接であれ、理由の良し悪しを問わず、人を死なせたり死なせることを正当化したりするもの、そのすべてを拒否することに決めたのだ
第四部 371ページより抜粋
おわりに


このパンデミックに闘う人たちにこの物語を読んでもらいたい一心で、書きました。
この新訳の岩波文庫版の表紙は、意味を知ると非常に怖い絵なのですが、小説の中で引用されているのでそれも踏まえて是非ともこの機会に読んでみてください。
カミュのペストは、岩波文庫版以外にも出版されています。
- 新潮文庫
- 光文社古典新訳文庫
コミカライズされた作品や、漫画でわかるペストなど、小説ではない作品も多数出版されていることから見てもやはりカミュのペストは名作だとおわかりいただけると思います。



一番古い本は、新潮文庫版です。



一番新しい本は光文社古典新訳文庫版です。



まんがでわかるペストはこちらです。



コミカライズされた作品はこちらです。
私がカミュのペストを読んだ時期が、まさにコロナ禍で家族が感染して自分は濃厚接触者になって自宅待機になったときでした。幸い、自分も家族も無事だったのでこの物語に没頭できたのかもしれません。感染症はなくなりませんが、コロナ禍の記憶が人々から忘れられ何年か経てまたこの物語を読み返したら、そのとき自分が何を感じるのか楽しみでもあります。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。


にほんブログ村

