ドラキュラと聞いて、何もイメージが浮かばないという人はもはやいないのではないかと断言してもいいくらい世の中に浸透しているこの名前。
その名前がタイトルになっている作品が、ブラム・ストーカーの吸血鬼ドラキュラであります。
1897年に誕生したこの作品を、なぜ今更127年の時を経てなおこの熱量で紹介しようとしているのか・・・
吸血鬼文学がこの令和の時代に市民権を得ることはないにしても、この世界の話が好きな自分としては少しでも魅力が伝わればと思っております。
好き過ぎて序文が長くなりましたが(笑)さっそく本題へ参りましょう!
吸血鬼ドラキュラを読んだ感想
百年以上前に出版された小説で、吸血鬼文学の傑作と言われるこの作品。物語の内容を知っていたけれども、後半につれて一気読みするほど引き込まれました。名作たる所以がわかるストーリーの力強さと小説の面白さを堪能できました。ただ、吸血鬼側のエピソードがもっと欲しいなと思いました。
映画や漫画、ゲームなどで既にアレンジを加えた状態のドラキュラを多く見すぎた影響で、原作のこの作品に出てくるドラキュラに少し物足りなさを感じてしまったことは事実としてここに記載しておきます。
なんとなく植え付けられたその吸血鬼のイメージを一旦全部忘れて読むといいかもしれません。
ただこの小説の凄いところは、そういったイメージやストーリーを知った上で読んでも面白いというところに尽きると思います。
548ページにおよぶ大作ながら、読ませるこの小説の構成力がなんとも素晴らしい。基本的には日記形式で進められていきますが、手紙のやりとりもふんだんに差し込まれていて飽きずに読み進めることができます。
余談になりますが・・・
中でも私がこの小説で好きなところが、デメテル号の航海日誌の部分です。ちなみに、ここの部分を切り取って映画化もされています。
2023年に公開された作品「ドラキュラデメテル号最期の航海」という作品です。色々な映画がドラキュラを扱ってきていますが、これはかなり原作に忠実だと思われます。
パニックホラー的な映画で、実際に乗船している気分を味わえます。この作品では、散々美化されたドラキュラのイメージを覆される。
ドラキュラとは本来、人々を恐怖に陥れる不条理な存在であると改めて思わされたのですが、それは小説の原作にも通じるものがありました。
映画作品はこちらです。興味がある方はぜひご覧になってください。
しかしながら小説の一部分だけを切り取ってもこんなに面白く、一本の映画作品になってしまうこの吸血鬼ドラキュラのポテンシャルの高さが本当に語り尽くせないくらいあるのです。
「ドラキュラ」のあとに吸血鬼小説なしというありさまで、文字どおり世紀の傑作の名に恥じないことは、なによりも作品自体が雄弁に証明しているようであります。
吸血鬼ドラキュラ 解説 558ページより抜粋
訳者のこの言葉が全てを物語っているように、実際私の手元にある文庫本は1971年4月16日に初版となっていて、2018年7月20日49版の本です。
これだけでも読み継がれている名作だとわかります。最近では新訳版も出版されたのでより一層読者が増えることを願っています。
新訳版はこちらです
光文社古典新訳文庫は、比較的どの作品でもかなり読みやすくなっているので好きなレーベルではあるのですが、私はまだ新訳版を読んでいません。いつか読み比べしてみたいので、できたらこの記事に追記したいと思います。
個人的には創元推理文庫の平井呈一訳がこの世界観にしっくりきていると感じています。私が無知なだけですが、難しい漢字もたくさん使われているところとかあとこれは本当に個人的意見で恐縮ですが、この文庫の活字がなんだか古めかしい雰囲気で好きなのです。(あと表紙が十字架でかっこいいから)
さて、この小説の魅力が伝わったかどうかわかりませんが、最後に私の好きなドラキュラ伯爵の台詞を引用して紹介をまとめることにいたします。
唯一、ドラキュラ伯爵の人柄がみえるような台詞です。
わしなども、もうこのとおりの老いぼれじゃから、はでばでしい陽気なところは、金をつけてくれても欲しゅうない。老人は日のあたらん陰がよい。
長年、死んだ者を弔うてばかりきたから、どうも騒がしいことは折り合えん。
この城なんかも、見らるるとおりもうだいぶん痛んできて、暗いところも多いし、破れた窓から風も吹きこむままじゃが、わしはしかし、暗いところや日のささんところが好きじゃ。
できることなら、そういうところで、ひとり静かに物を考えていたいの
吸血鬼ドラキュラ 43ページより抜粋
他の吸血鬼小説を読んだ感想
次に紹介するのは吸血鬼愛好家だという種村季弘氏が精選した、1986年に初版発行されたものの新装版で吸血鬼小説の傑作集です。
ひとつだけ訳が古くてきちんと読めなかったけれども、読んだことがない作家の作品がいろいろ読めて良かった。お気に入りの作品は、ジャン・ミストレルの「吸血鬼」、ホフマンの「吸血鬼の女」、ジュール・ヴェルヌの「カルパチアの城」、マルセル・シュオッブの「吸血鳥」です。
この中で訳が古くて読めなかった作品というのが、佐藤春夫訳ジョン・ポリドリの「吸血鬼」です。
私自身が古い日本語に慣れていないだけできちんと読めなかったと思うので、おそらく古い言葉に精通している方なら読める作品です。
ちなみにこの作品は先に紹介した吸血鬼ドラキュラの解説で取り上げられていて、吸血鬼をテーマにした最初の小説だと言及されていたのでいつか読めるようになりたいです。
11編の作品が収録されている本作の中には、他の作品で有名な作家のものがあります。
「海底二万里」などで知られている、ジュール・ヴェルヌと、「シャーロック・ホームズ」で有名なコナン・ドイルです。
こういった形で有名な作家の知らなかった作品を読めるのはとても魅力的です。
あなたのお気に入りの吸血鬼小説もきっと見つかりますよ。
日本人作家の書く吸血鬼
これまで紹介した小説は全て海外文学の古典作品でしたが、こちらは現代日本人作家の書く吸血鬼小説です。
私の好みである、いわゆる王道の吸血鬼小説ではなかったけれども、大変面白い視点で描かれていました。この小説に登場する年代のポーランドについてもっと知りたくなりました。
現代の日本人作家が書いている作品ではありますが、描かれているのは1845年オーストリア帝国の支配下にあるポーランドなので、海外文学のような感じで読めます。
それに海外古典文学にありがちな、訳が合わなくて読み辛いということもなく、文体はスラスラと読めるのですがちょっと自分が思っていた吸血鬼小説ではなかったです。
これはなんというか、単なるエンタメ的な吸血鬼小説ではなく、恐怖とは何かを問いかけるような、考えさせられる物語でした。
その時代の田舎に暮らす村人の描写がリアルで、引き込まれます。この物語の核心をつくような言葉があって、それがとても印象に残りました。
信仰が死滅すると、残るのは迷信だけだ。
吸血鬼 佐藤亜紀 角川文庫 269ページより抜粋
まとめ
まだまだ世に出ている吸血鬼文学はたくさんあります。私もまだ積読状態の本がいくつもあります。
また読んだら記事にして紹介したいと思いますが、吸血鬼が好きという人でも意外と小説は読んでいないかもしれませんね。
好きな人も、そうでない人も、ブラム・ストーカーの吸血鬼ドラキュラだけは読んでほしい!と、そんな気持ちで紹介しました。
それで古典文学の魅力がわかってもらえたら、嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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